ソーイング・ビー2 フィナーレ直前企画最後は、ソーイング・ビー2(シーズン3)で審査員からの降板となるメイことメイ・マーティン。
メイのその後と現在を調べたよ。
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Contents
ソーイング・ビーシリーズではソーイング・ビー2(シーズン3)で降板となるメイ・マーティン。現在は、本職の講師業に戻ったようです。
もともと裁縫教室の講師だったメイ・マーティン。
ソーイング・ビーシリーズを降板した現在は
大学をはじめとする教育機関やワークショップでソーイングを教える講師業に戻ったようで、
今でもフリーランスとして活躍しています。
(2020年6月のイギリス誌EXPRESSの情報を基に書きました)
婦人服専門のソーイング講師としてその界隈では有名だったメイ。
ソーイング・ビーシリーズ降板以降にはさらに業界の引っ張りだこに。
メイ・マーティンをはじめ、ソーイング・ビーシリーズ出場メンバーが使っているミシンのブランドは?
メイを始め、ソーイング・ビーシリーズ出場者たちがみんな使っているのはJANOME/ジャノメのミシン。
日本でも有名だよね。
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ソーイング・ビーシリーズでは異色の出演オファーだったメイ・マーティン
ソーイング・ビーシリーズを制作しているBBCのスタッフは、
“グレート・ブリティッシュ”ソーイング・ビーにするための潜在的な審査員を探すのに苦労し、
セントラル・セント・マーチンズを含むすべてのトップファッションカレッジの講師にインタビューを行いました。
セントラル・セント・マーチンズ (Central Saint Martins) は、ロンドン芸術大学の中のカレッジの一つで、著名なデザイナーを輩出している大学。CSMの略称でも知られている。
メイは突然BBCからオファーを受けて面接に臨みましたが
「BBCスタッフとのインタビューはとても緊張したが楽しかった、しかしわたしが選ばれることはないと思う」と、
面接後にスタッフに言ったそうです。
彼女は彼らBBCスタッフは、エリートファッションスクールの講師を審査員に迎え入れると思っていたからです。
メイ・マーティン、のちに盟友となるパトリック・グラントとの出会い。このときもまだ、ソーイング・ビーシリーズに出演する確証はなかった。
その後、もう1人の審査員パトリック・グラントとのスクリーンテストでもメイは、“パトリックは出演するだろうが自分はどうなるかわからない”と考えていました。
BBCスタッフは、彼女の穏やかで親切な態度と、幅広い知識に感銘を受けたそうです。
ソーイング・ビーシリーズの出演決定を周囲にはナイショにしていたメイ。周りの反応は?
スクリーンテストを見事にパスしたメイでしたが、ソーイング・ビーシリーズへの出演が決まったあとも
当時メイ自身が受け持っていた生徒たちにはソーイング・ビーシリーズへの出演をナイショにしていたため
テレビに映ったメイをみて生徒たちはとても喜びました。
物静かなメイですが、幅広い専門知識や出場者への声かけ、ソーイングへの情熱など、彼女の良さを引き出すため
撮影の前にはプレゼンテーションのトレーニングをして本番に臨んでいたそうです。
メイ・マーティンのソーイング・ビーシリーズでの軌跡を振り返るインタビューを紹介。
2013年~2015年まで、ソーイング・ビーの3つのシリーズを担当したメイ。
ソーイング・ビーシリーズにおいて、脱落者を出さなくてはいけない回ではもう1人の審査員パトリックとたくさん揉めた回もあったそうです。
番組では編集されていますが、
実際には長い時間を費やして誰が脱落するのか決めていたことも多く、
お互いが持っているスキルが全く異なるメイとパトリックは判断する基準も違ったため、意見の食い違いもあったそうですね。
そしてメイは、脱落者が帰宅する回では涙を流したことも多々ありました。
緊張とストレスの多いコンテスト下において、メイの情熱と幅広い知識が、多くの出場メンバーを心理的にも支えていたそうです。
ソーイング・ビーシリーズでの自分の役割についてメイは、
「出場者を助け、間違っている部分を示し、わたしは一歩下がって出場者が自分たちを表明(表現?)する戦いであることを忘れずにいることです。」
とコメントをしています。
また、パトリックとメイは番組を通して
「今では当たり前ではなくなってしまった、ソーイングをするという行為にイギリスの人々が関心を持ってくれればと考えています。」と語ります。
ブリティッシュ・ベイクオフのスピンオフ番組であるソーイング・ビー。
パトリックはブリティッシュ・ベイクオフと比較して、
「人間には不可避な事実があります。わたしたちは食べる必要があり、社会では服を着なければなりません。
ほとんどの人は何か料理を作ることはできますが、服の作り方を誰も知らないことを悲しく思います。」
ともコメントをしていました。
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また、メイいわく、パトリックから聞く仕立ての世界についての話はとても面白く、
2人はソーイングのテクニックについてよく語っていたそうです。
パトリックの知識と豊富なテクニックは興味深く、メイは彼のワークショップに訪れる約束をしたそうです。
メイ・マーティンのソーイングの歴史
メイ・マーティンは13歳で縫製を学び、クラクトンオンシーにあるセントオシスカレッジに通いました。
このカレッジではドレスとデザインを学びました。
メイは当時を振り返って
「ほとんどの女性が、理髪、秘書、看護のいずれかのキャリアを追及されていた時代に、
針仕事を専門とする教師養成大学である大学で学ぶことを選択することで、世の中にあった傾向に逆らいました。」
「人生でもっとも困難な3年間で、その後のソーイング人生の支えとなる期間でもありました。」
とコメントしています。
1972年、彼女は針仕事(テキスタイル)の教師の資格を取り、
BBCが彼女に「ソーイング・ビー」シリーズの出演を依頼する前には中学校やフリーランスで教えていました。
メイのフリーランス教室はたちまち人気となり、常に予約でいっぱいだったので在宅コースも作ったそうです。
朝は学生に、結婚後は夜に大人にも裁縫を教えるフリーランスとして活動していたそうです。
40年以上の裁縫と洋裁を行っており、
2014年には著書である「メイ・マーティンのバイブル:40年の秘訣」を出版。
婦人服の縫製においてファッション界で有名なインストラクターになったメイ・マーティン。
彼女は、パトリック・グラントも店舗を抱え、
テーラーの老舗店が軒を連ねるサビル・ロウでは一般的に見られない婦人服やその他の技術を専門としています。
メイ・マーティンがソーイング・ビーシリーズを降板した理由は?新しい審査員もちょっと紹介。
メイがソーイング・ビーシリーズを降板した理由を公式に語っている記事はありませんでした。
しかしながらメイは、ソーイング・ビーシリーズを降板する際にいくつもの雑誌のインタビューに
これまでのソーイング・ビーシリーズについて回答したりコメントを残しているので
何かマイナスな要因があって降板したということではなさそうです。
メイはソーイング・ビーシリーズ撮影時について、
「何週間もホテルに滞在した長くて疲れた日々、講師のスケジュールや教育の機会に混乱を招いたことも見逃すことのできないこのコンテストショーの一部です(笑)」
と語っているので、
メイに関するインタビューを読み漁った海外ドラマちゃんは、本業の講師業に戻りたかったのかな?
と思いました。
それからあれですネ、大人の事情になりますが
大人気番組へと成長したソーイング・ビーという番組をより盛り上げていくために
制作サイドが、キャラの強い著名人を審査員に招いてさらなる飛躍をはかった、ということもあると思います。
ソーイング・ビー シーズン4からの審査員エスメ・ヤング。
\真ん中がエスメ。クローディアもシーズン4で降板します。/
ファッションレーベルSwanky Modesの共同創設者であるエスメ・ヤング。
過去にはブリジット・ジョーンズの日記の衣装なども手掛けたデザイナーです。
デンマン大学、アーディントン工芸学校の裁縫インストラクターも務めています。
メイ・マーティンのその後。講師業が天職。
「わたしは教師で、教えることが大好きです。ソーイングの仕事を始めてから40年経った今も、そう言えることはとてもラッキーなことだと思います。」
「私がソーイング・ビーシリーズ4に参加しないのは残念ですが、シリーズ4が上手くいこことを願っています。
わたしたちが作ったソーイング・ビーシリーズが成功を続け、国が裁縫を続ける刺激を得ることを望みます。」
とメイはコメントを残しています。
メイ・マーティンのその後と現在 調査まとめ
ということで、ソーイング・ビーシリーズ出場者&出演者調査、最後は審査員のメイ・マーティン。
デボラ&ポールのその後と現在の調査で終わろうかな~と思っていたのだけれど、
実はメイのリクエストがとっても多かったので調べてみたよ。
自分が好きなことを極めて極めて、
時代に逆らってもソーイングを続け、たくさんの人をおしえる立場に就き、
番組を通してさらに多くの人にソーイングの面白さを提供し続けているメイ・マーティン。
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